秋月のD級アンプキットでヘッドホンアンプを作る








さて、D級増幅のヘッドホンアンプを自作します。

母体となるキットはこちら。

秋月電子
1Wx2 ステレオ・デジタル・オーディオ・アンプ・キット (テキサスインスツルメンツ社製TPA2001D1使用)
http://akizukidenshi.com/catalog/items2.php?q=%22K-02168%22&s=score&p=1&r=1&page=


■D級アンプとは

D級アンプ(デジタルアンプ)ってのは最近ポータブル機器などで普及してきたちょっと変わった方式のアンプ。
普通のアンプはアナログの音声信号をそのままトランジスタなどで増幅するのに対し、D級アンプは
一定の電圧のオンオフや、パルス幅の違いだけで音声信号を再現します。
出力回路がアナログ的な電圧の変化を扱わないので、FETによるスイッチングだけで構成でき
低電圧動作や高効率といったメリットがあります。
…っと、これ以上の細かい話は他におまかせで。

D級アンプでは回路方式が従来のアンプと違うために、音質の特徴も異なることが予想されます。
回路上で扱う信号がアナログアンプのそれとは全く異なるため、個々のパーツが音へと与える影響も
当然違ってくることでしょう。例えばコンデンサひとつをとっても扱う信号がパルスなので、オーディオ用
コンデンサの使用が適しているかと考えると大きな疑問が残ります。
このためD級アンプを作るにあたっては従来のアナログアンプの常識を捨てて取り組む必要がありそうです。
また、アナログアンプが苦手としていた特性がD級アンプなら容易に達成できてしまうかもしれない…
こんな期待ができることも、D級アンプの大きな魅力といえるでしょう。

■なぜD級ヘッドホンアンプをつくるのか

いま、ヘッドホンが熱い! か、どうかは知りませんけど、
ヘッドホンというのは再生装置として素晴らしいものだと思うんですよ。
スピーカだときちんと再生するのにある程度のスペースが必要ですし、
違う場所はもちろん、同じ部屋であっても毎回同じ音場を再現するのって不可能に近いし
ちっちゃいスピーカではどうしても低音は出ないし、サラウンドなら個数が必要だし、
一般家庭では大きい音を鳴らすと周りに迷惑が…。
しかしヘッドホンならいつでもどこでも同じ状態が再現できるんですよ。しかも誰にも迷惑がかからない。
それに人間の耳は2つしかないんだから、耳というセンサーの直近で音を発生させるわけですからこれはもう
どう考えても理想なわけですよ。

っと、そんな薀蓄はどうでもいいので本題を。なんでD級増幅でヘッドホンアンプを作ることになったかといいますと、
そもそもちゃんと鳴るヘッドホンアンプを作るってのはなかなか難しいんですよ。
そういえば昔、秋月でNJM2073を使ったヘッドホンアンプキットがありましたけど、全然ダメでした。
まあ、ちょっと鳴らすくらいならいいのかもしれないけど、ある程度ちゃんとしたヘッドホンを使うと、出力は足りないわ
音は歪むわ、挙句の果てには無信号時の残留ノイズがうるさいくらいに聞こえる。ってな訳で、とりあえず音が出るだけ
なのでハイファイ用途には使えませんでした。
あとはオペアンプ単体、もしくはそれにバッファを載せる方式もありますがこれらの方式だとこれはこれで電源電圧や
消費電流、出力インピーダンスや電流制限抵抗による無駄な電力消費とか、んまあ色々あるわけです。

そんなところ、ちょうど秋月電子から出力1Wと、これまたヘッドホンアンプに丁度いい1チップのキットが発売されたという。
そんなとこから始まったわけですよ。

シリコンオーディオやPCオーディオの普及で、ヘッドホンが活躍する機会がどんどん増えてきました。
近年のオーディオ事情は、大きなスピーカを揃えることより、高級なヘッドホンでじっくり聴くのが主流。
それでは、ガンガン使えるヘッドホンアンプを一台つくっちゃいましょう。



■D級増幅はヘッドホンが苦手

スピーカーの世界ではD級アンプを採用した機種がどんどん発売されてきていますが、
ヘッドホンアンプでD級のものをあまり見かけないのは何故でしょう。
その理由の一つはD級アンプはFETスイッチングなので、ローインピーダンス、低電圧駆動を得意とします。
スピーカのような8Ω前後のインピーダンスの負荷であれば大得意なわけですが、ヘッドホンのインピーダンスは
32Ωや64Ωといったものが多いため、一般的なD級アンプにそのまま接続したのでは性能が発揮できません。



さて、ここでD級アンプキットの出力信号についてざっと解説していきます。
アンプの出力はBTLとなっており、+端子、-端子ともにGNDから浮いた状態になっています。

上記の波形は無信号時の各出力端子とGND間を計測した波形です。

無信号なのに対GND間、すなわちコモンモードで信号が出ています。
一般的なアナログアンプのBTL出力と、このD級アンプのBTLとは全く別物と考えてください。
シンプルなBTLアンプは二つの端子から単純に位相が逆の音声信号が出ているだけですが、
D級アンプの場合は大きなコモンモード成分を含みます。
このコモンモード成分はD級アンプの動作に使用される約250KHzのクロックで、
無信号時では+出力、-出力ともに同じ波形が出ているのが特徴です。

ヘッドホンを駆動する場合、プラグの都合からGNDを共通にする必要があります。
シンプルなBTLアンプの場合、-出力端子を使わずに+出力端子とGNDのみを使用
して電力を取り出すことが出来ますが、このD級アンプでは絶対にこれをやってはいけません。
波形をみてわかるとおり、250KHzのクロックがモロにヘッドホンに供給されてしまいます。



次に、信号を入力した時の波形です。

+出力は波形の立下り部分。-出力は立上がり部分がブレているのが観測できます。
これがD級アンプで変調がかかった状態です。
信号レベルが大きくなるほど、波形のブレる幅が大きくなります。





これは対GNDではなく、+出力と-出力間の差動電圧を計測したものです。
すなわちこれがスピーカーへと供給される電力となります。
波形のブレによって+出力と-出力の波形が同一でなくなった部分が出力として現れます。




入力信号を大きくしていくと…




パルスの変動幅が大きくなっていきます。



■ヘッドホン駆動するための課題

さてさて、少なくともD級アンプでは直接ヘッドホンを駆動できないことがわかったので対策を考えます。
やらなければいけないのは

1.バランスアンバランス変換
先ほど解説したようにアンプのBTL出力をヘッドホンに対応させるためGNDが共通なアンバランス仕様に変更すること。

2.インピーダンスマッチング
アンプの仕様は8Ωで1W、すなわち最大電圧は約2.8V。
そのままではインピーダンス32Ωのヘッドホンでは250mW。64Ωだと125mWまでしか出力できない。

3.コモンモードノイズ対策
各出力端子からは対GNDで250KHzのクロックがモロに出力されている。これをコードに接続したらアンテナになって
電波障害を起こす可能性が大。



この3つの問題を突破できるデバイスがこれ、トランス。

変成比をとってアンプの電力をフルにヘッドホンへ供給。アンプと負荷が電気的に絶縁されるので
GNDを共通にでき、同時にコモンモードノイズも低減できる。これ最強。



■サンスイトランスでテスト


数多くの種類のトランスを標準在庫として扱っているサンスイトランス。
リストの中から使えそうなものを探してヒットしたのが「ST-60」。
60Ω:4Ω、8Ωの本来ならトランジスタのプッシュプルアンプ用の出力トランスだけれども、
一次二次を逆に使えば丁度よさそう。お値段は一個1000円ほど。秋葉原のマルツ電波で即入手できました。

ようやくこれで、まずはD級アンプにヘッドホンを接続することが可能となった。

でー、音聴いてみたんだけど、なかなか良い感じなのよ。イメージ通りのD級の音ではあるんだけれども
いままで作ったり聴いたりしてきたヘッドホンアンプから出る音とはちょっと違う雰囲気を感じたよ。


でもね、よく聴くとダメなんだ。

・雰囲気はいいけど全体的に歪み感がある。
これはコアのサイズが足りない。サンスイのスペック上では出力は3Wまでとなっているけれども、
経験上、もうふたまわりは大きいコアを使わないとダメ。

・周波数レンジ
歪みの感覚と伴ってだけど、低域および高域があまり伸びてない印象がある。これもコアのサイズや
巻線の巻き方などによるものだと思われる。

まあ、そもそもこのトランスはどちらかというとラジオとかそういったもの向けで、ハイファイ用途のものでは
ないために、ここまで求めるのは違うと思う。とりあえずトランスを使った場合の雰囲気が確認できただけで
十分な意味があったであろう。
またこの音質も逆にとらえると、このくらいのレンジの狭さや歪み具合が聴きやすい、と感じる場合もあるか
もしれないと思った。




■特注トランス

さてさてさてさて、ここからが本番なわけですけれども。
今回のD級ヘッドホンアンプ企画のために、専用のトランスを設計、製作してもらうことにしました!!


トランスの製作をお願いしたのは、染谷電子さん。音声トランスの設計製作をやっているメーカーで、1個単位から
設計をやってくれるので、既製品でラインナップが無かったり、性能的に満足できない場合にお世話になっています。
管球アンプのトランスなんかもやっているとか。
さっそく、必要なスペック、変成比や電圧レベルや周波数帯域、コアのサイズなどを伝えて設計をしてもらいます。


で、

出来上がったものがこちら。
左側が製作してもらったもので、右側がサンスイのST-60
低域での特性が出るようにコアサイズを大きくしてもらいました。
変成比は8Ω:32Ω、64Ωと、使用したいヘッドホンにあわせてインピーダンスを切り替えられるように
なっています。



添付されていたスペック表はこちら(クリックして拡大)







周波数特性については、20Hz-20KHzはなるべくフラット、それ以上はなるべく
伝送しないようになるのがベターということで考慮していただいた結果、こんな
値となりました。キャリア周波数250KHzで6dB落ちてますので概ね良好でしょう。

ただし、測定値は抵抗負荷での値であったり、一次側のインピーダンスにあたっては
正確にはアンプの出力は8Ωではなく、もっともっと低い値であることを考えるとこのデータを
そのまま読むのは危険です。大体の目安ということで。


■そして音出し



これは聴いてびっくりですよ。
先ほどのサンスイトランスで気になった粗の部分が全て無くなった感じです。
しかも締まりのある低音やスッキリとした音像など、D級アンプらしい能力が
発揮されているのが感じられます。
そしてガンガン音量を上げても音が歪むようなことはありません。
マッチングがとれているため、これで1Wの出力を得ることも可能です。



…でも、これでめでたしにならなかったんですよ。
何故なら出力段が優秀になったおかげで今度はアンプ部の粗が目立ってしましました。
それは残留ノイズです。無信号時にアンプから出力されてしまうヒスノイズ。これがヘッドホン
から「サー」と聴こえてくるのが気になります。まあ、別にアンプのチップの出来が悪いという訳
では無く、普通にスピーカを鳴らした場合ならまず問題になりませんし、ヘッドホンアンプでも
このくらいの残留ノイズのあるものも存在するので(かつての秋月のヘッドホンアンプキットとか!)
このままでも良いといえば良いのですが、ちょっと設計を変更したトランスをさらに作ってもらうこと
にしました。
それは変成比を小さくした64Ω:32Ω、64Ωの巻線比1:1のトランス。音声レベルや音質を確認しながら
多少の変成比の変更ができるように32Ωのタップもつけといてもらいました。
このような設計にした理由は、アンプから最大電力を絞りとらず、アンプの最大出力時にヘッドホン
がうるさい位に鳴れば実用的に十分だろうという理由からです。
BTLの+対GNDで出力をとった場合には音量不足を感じますが、きちんとBTLで出力していれば信号
電圧は二倍となるので1:1でも十分な音量が得られました。


※なお、今回は使用したキットの残留ノイズの点からトランスを設計変更しましたが、本来であれば
最初の設計の8Ω:64Ωのほうが理にかなっており、実際、音質的にも優れているように感じました。
残留ノイズの少ない優秀なD級アンプICが見つかったら、最初の設計のトランスを再度試してみる予定です。
また、D級アンプでなくとも、普通のオーディオアンプのスピーカ端子にトランスをつけてヘッドホン駆動
してみるといい結果が得られそうな感じです。





■2回目に製作してもらった1:1のトランス







データ上では大きな差はありませんが、無信号時のノイズが気にならない程度まで下がり、
それでいて十分な音量が得られるという見事な形に仕上がりました。
いつも評価に使用しているヘッドホン、SONY MDR-CD900STは公称インピーダンス63Ω
(すばらしいことに可聴帯域ではほぼ一定、50KHzあたりから段々上昇)ですが、
実際に試聴してみると2次側のタップは32Ωを使用したほうが良い音質と感じました。
まあ、このあたりはそもそも1次側もマッチングが取れている訳ではないので測定結果と
試聴した印象で決めてしまって構わないと考えます。
ちなみにトランス出力はもちろんLRそれぞれフローティングしたバランス出力ですので、
ヘッドホン端子の配線だけ変更すればバランスヘッドホンの駆動にも最適なんじゃないかと
思います。






■EMI対策

音質について仕上がったところで、最後にノイズ対策です。
ヘッドホンを接続した状態で出力の波形を観測してみると、とても音声波形とは思えない
ものが観測できて驚きです。これはノーマルモードで乗ってくる成分ですので、トランスだけでは
十分な値まで除去しきれません。(データ上ではトランスで6dB、すなわち半分まで低減されることになっています)



1KHzサイン波入力時の出力波形。 2V/div




音声信号入力時。





で、行った対策はというと、
「出力に1μFのパスコンを入れる」
です。正直、何も設計を考えずに入れてみただけなんですが、
周波数特性を測定すると、ちょうど20KHzを超えたあたりから減衰しはじめるので
適当ですが目的は達成できたのでこれで良しとしておきます。
なお、ヘッドホンを外した出力開放時に測定した結果でも周波数特性に大差はありません
でしたので、フィルタの特性が負荷によって大きく影響されるようなことはなさそうです。


処置後の波形は

1KHzサイン波入力時の出力波形。 2V/div

※この波形はパスコンの値が0.1μの時に計測したもので、
まだ若干高周波成分が残っています。1μにした場合、さらに
クッキリとした波形が確認できました。




音声信号入力時
無事、よく見慣れた波形が観測できました。






■バランス入力回路

ICがせっかく差動入力仕様になっているので、バランス入力ができるように
キットの入力周りを変更しました。



これで特殊な部品を使用せずにバランス信号の音量調節が可能です。
ICのゲイン設定が最小の状態で一般的な音声レベル+4dBu〜+22dBuくらいまで対応します。
なお、ゲイン設定によりICの入力インピーダンスが変わるせいか音質の変化があるようです。
この点を考えると、D級アンプで唯一の純アナログ回路な入力部分は研究の余地がありそうです。
なお、信号ライン対GND間の10KΩの抵抗はノイズ回避用です。これを入れないとインピーダンスが
高くなり、ノイズの誘導を受けやすくなります。
※10KΩと直列に1000pくらい入れといたほうがいいかも。



■電源回路

ポップノイズ低減のため、ICへの電源はつねに供給。シャットダウン端子の
電圧だけLEDとともにON/OFFするように変更しました。
OFF時に開放になるけど、まあ問題なさそうなので…







■最後に内部写真を。



ちょっと無理して詰め込み過ぎました。すみません。
見た目だけでなくノイズ等の観点からも、もう少し余裕をもって製作することをお勧めします。




■今後の課題

・LRのクロックの統一。相互変調
キットではICの仕様上、LRで別々のクロックが使用されており、同期させることができない。

・残留ノイズ
ノイズ発生の原因を特定したい。ICのスペック通りのSN比が得られていないように思える。
発振段のパーツや回路パターンの変更で改善できないか調査したい。

・ボリュームの改良
ICの音声入力段での音質変化が気になる場合がある。ICのゲイン設定によっても音質が
違う印象を受ける。なるべくインピーダンスを低く抑えないとノイズを拾いやすい。



※今回、D級ヘッドホンアンプ用に設計してもらったトランスと同じ仕様のものを製作してもらうことが可能です。
これと同じものであれば新たな設計費用がかからないので、比較的安価にできるかと思われます。
興味のある方はぜひ作ってみてください。そして感想を。

染谷電子さんhttp://www.someyadenshi.co.jp/

8Ω:32Ω、64Ωトランス  型番 A48-126
64Ω:32Ω、64Ωトランス  型番 A48-127




※小音量での歪みについて


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